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2007年11月

2007年11月 2日 (金)

ドラゴンズ 日本一おめでとう

 私は中日ドラゴンズのファンである。それも物心ついた小学校低学年頃からだから、30年近い相当に年季の入ったファンの一人だと思う。最初に買ったドラゴンズグッズは高木守道の帽子。背番号1が刺繍で入っていた。

 当時、ドラゴンズで絶大な人気を誇っていたのはエースの星野仙一。星野は、既にこのころからミスタードラゴンズだった。だが、私が一番好きだった選手は、地味ながら確実に仕事をする高木守道。素晴らしいリーディングヒッターで、現在のセカンド荒木に勝るとも劣らない守備の達人でもあった。時を同じくして私が始めた少年野球でポジションがセカンドになったのも、おそらく高木の影響を受けてのことだったろう。

 そういえば、その頃からドラゴンズは「アライバ」コンビのような堅固な二遊間だった。

 高木が惜しまれつつも引退した後、ファンになったのは鈴木孝政。背番号29。既にピークは過ぎていたと思われるが、巧みな配球で打って取るタイプのいぶし銀先発投手だった。ちなみに、私は彼が速球派のリリーフエースだった頃のことはあまり記憶に残っていない。

 この頃は俗に言う「恐竜打線」。田尾、平野、谷沢、大島、モッカ、中尾、宇野。何せセリーグホームラン王の宇野が下位の7番バッターである。バースが在籍して阪神が優勝した年のちょっと前だが、打線的には最強時の阪神よりも、この頃の「恐竜打線」の方が凄かった。ただ、打線は最強だったが、投手は最弱な時代だった。星を計算できるのは小松だけである。

 しばらくドラゴンズ暗黒時代が続いたが、突然救世主が現れた。第1次星野政権である。星野はそれまでのドラゴンズの悪弊である「ケチ」を見事にブチ壊し、就任早々にいきなり大枚叩いて落合を引っ張ってきた。これには本当に驚いた。てっきりジャイアンツに行くものと思っていたのだ。当時、落合の値段は3億円だったと思う。もちろん、ドラゴンズに来て欲しいと思っていたが、中日がそんな金を払うワケないとも思っていた。

 その後、落合が入団してからのドラゴンズは皆さんご存知なのであえて書かないが、とにかく私のドラファン暦は長い。リーグ優勝なら何度も見てきたが、これだけリーグ優勝していて日本一が53年ぶりとは思ってもみなかった。そう言われてみれば、いつも日本シリーズで負けているな。3勝した後、4連敗というのもあったし。

 そのドラゴンズがとうとう日本一である。嬉しい、素直に嬉しい。当日は自分の誕生日と重なっていたのだが、誕生日よりもずっと嬉しい。世間は落合監督の継投策に賛否両論のようだが、30年来ドラファンの私に言わせれば何の問題も無い。継投は継投である。最後に岩瀬が締めることは、ドラゴンズの予定調和なのだ。

 そして優勝後のコメント。不覚にも中村紀のインタビューには、大の大人が涙してしまった。近鉄を追い出されて行き場が無く、無理やり育成枠で入ってきた選手が日本シリーズMVPなんて、誰が想像しただろうか。彼の改心ぶりは、その立ち振る舞いを見れば一目瞭然である。

 こんなドラマが起こせるチームが弱いわけは無い。願わくば、このまましばらく落合監督にオレ流を貫いてもらい、来年は念願の初連覇を達成して欲しいものである。そして、そのときのクリーンナップに中村紀が加わっていることを祈念している。

以上、敬称略

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