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2009年1月

2009年1月 5日 (月)

ベーシックインカムってどうなんだろう

皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、株価大暴落の年だった2008年の次である2009年はどんな年になるのでしょうか。現在、昨年以上にマクロ経済が悪化することが確実な中で、世界的に株価はリバウンド傾向にありますが、オバマ次期米大統領に期待しすぎとも思えるこのリバウンドに対する反動は、3月に掛けて必ず襲ってくると思われます。その時の谷は相当深いでしょうね。

ビック3を筆頭として、昨今は自動車業界の窮状が話題に上がっています。残念ながら、私が昨年10月頃に予想したとおりの展開となってしまいました。この予想が当たっているとすると、ローン/リース債権問題が顕在化していない自動車産業は、まだまだ落ちきっていないと考えるべきで、生産設備の余剰とキャッシュ不足から、トヨタであっても経営危機に陥る可能性さえあり得ます。

個人的に、この動きは自動車産業の転換点であり、今後は残存者利益を求めて争う長い凋落期に入っていくと思います。そして恐らく後から振り返ったとき、自動車産業を殺した「犯人」は、インターネットだったという結論になるのでしょうね(説明は省きますが)。

ところで、最近、ベーシックインカムの議論が盛り上がっているようです。私もちょくちょくお邪魔している山崎さんのブログで少し前に書かれていたものを、某元六本木の社長さんが取り上げたことがキッカケみたいですね。実は最初の記事は、オンタイムで読んでいたにも関わらず、何とも思わなくて完全スルー状態だったのですが、あらためて読んでみると意外と面白いアイデアかもしれないと思うようになりました。

どこが特に気に入ったかというと、「個人単位」というところと、「働かなくてもいい」というところだ。今日の生き方の多様化を考えると、主として、世帯を単位とする現在の各種の税制や社会保障制度などは、婚姻の形態をはじめとして、個人の生活に不当に介入している。
 また、人には、働かない自由もあっていいだろう。少なくとも、働かなくても、生存できるくらいの収入が保証されていれば、クビが怖くないから、個々の労働者が、もっと自由な働き方ができるし、雇い主と、より対等に交渉できるだろう。
 「働かざる者、喰うべからず」とは、時に、暴力的で、危険なキャッチフレーズだ。仕事を上手く見つけられない人(摩擦的失業の場合でも失業期間はある)もいるだろうし、心身の状態によっては働けない人もいる。前者の人は焦って仕事を決めようとするだろうし(偽装請負の労働者でもいい、という気分になるだろう)、後者の人は、精神的に相当に辛いはずだ。世間の人々は、「働かないなら、死ね」とは、大っぴらには言わないのだが、生活保護を与えるか否かの判断を役人が持っている場合、「キミは、働けるはずだ」と役人に言われてしまうと、死んでしまいかねない(先般の、北九州市の悲劇のように)。

「ベーシック・インカム」を支持します

この「働かなくてもいい」という機軸は、確かに新しいかもしれない。「労働」という概念自体が産業革命以降のものであり、それ以前の生活がもっぱら食べることを主眼として捉えられていたことを考えると、スパイラル的に一回転して元の地点(の上段)に戻ってくることも、十分にあり得ると思います。

経済成長=労働人口増加×生産性向上

という定義があるそうですが、これらのパラメータは有史以来一貫して増加してきています。

大昔の「自分が食べるために食物を取得する」時代には、主に農耕や狩猟の技術が進歩することによって、耕地面積若しくは単位面積あたりの収穫量が増加(生産性が向上)し、結果として労働人口も増えることになりました。

しかしながら、現在の状況は、先進国を先頭に人口爆発が収まってきており、今後は地球規模でそれ程人口が増えないかもしれません。仮に、消費母体としての人口が定常状態のまま、技術革新による生産性向上とロボットによる労働力の増強だけが進展した場合、リアルな人間一人当たりの富は増えていくはずです。そうなると、何となくどこかのタイミングで「働かなくてもいい」社会になるような気がしてきます。

大体、農業も漁業も製造業も全部ロボットが請け負うような社会になった際、リアルな人間は何をするんでしょうね。きっと何かはするんでしょうが、それが既存概念の労働かどうかは良く分かりません。

そう考えてみると、「共産主義の焼き直し」などと一概にベーシックインカムを否定しないで、新しい取り組みとして考えてみることが、意外と重要なのかもしれないと思うのです。

最後に、この「働かなくてもいい」という概念を想像したとき、2chで一部有名なこんな話を思い出しました。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

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